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日本三大化け猫伝説

江戸時代から日本人の生活の中に入り込み、ペットとして愛されてきた猫は浮世絵にも数多く登場している。特に大の猫好きであった国芳は、猫の浮世絵を多数制作している。ここでは化け猫伝説の元になった伝承を以下に要約する。日本三大化け猫伝説と言えば、愛知岡崎、佐賀鍋島、福岡有馬の騒動を指す。

岡部/岡崎

お袖が乳児と夫の三人で、姉(お松)を捜す旅に出た。道中、岡崎で幼なじみのおくらに出会い、古寺に案内された。そこには十二単を着たすでに亡くなっている母がいた。母の姿はいつしか化け猫になり、行灯の油を舐めていた。その姿を見られたため、おくらは殺された。一方、お袖と夫は姉の幽霊と出会い、お袖はその場で亡くなってしまった。その時、障子の奥から手が伸び、お袖と乳児の遺体が引きずり込まれた。亡き母は夫の前で化け猫の正体を現し、自分が猫石の精霊とお松の怨念が合体したものだと言い放って消えた。あとには猫の形をした巨石が残された。お松の遺体がそこに運び込まれると、猫石は再度、化け猫に変身して、遺体を引っ掴むとそのまま大空を舞って消え去った。このように、話の筋が一貫しておらず、荒唐無稽な創作だが、江戸時代には大受けした物語である。

初演:1827年の四世鶴屋南北による歌舞伎の演目『独道中五十三駅』。その後、数多くの模倣作品や浮世絵のモチーフとなった最も有名な化け猫騒動。

関連作品
国芳:東海道五十三対・岡部」(1845年頃)
国芳:日本駄右エ門猫之古事
国貞:東海道五十三駅の内 岡崎八ツ橋村
国貞:昔語岡崎猫石妖怪

佐賀鍋島の化け猫騒動

肥前国佐賀藩の藩主・鍋島光茂の家臣の龍造寺又七郎が、光茂の機嫌を損ねたために殺された。又七郎の母は亡夫の飼い猫に事の顛末を吐露し、小刀で自害を遂げる。傷口から流れる血を舐めた猫は化け猫となって光茂の側室であるお豊を食い殺し、その姿を借りて、光茂を毎晩のように怪霊となって苦しめた。しかし、お豊の奇妙な行動に気づき、化け猫であると見破った忠臣の小森半左衛門が、化け猫を成敗し、佐賀藩は救われた。

初演:嘉永六年(1853)、三世瀬川如皐作の『花嵯峨猫魔稗史』。

久留米有馬の化け猫騒動

赤羽にあった久留米藩有馬家の江戸屋敷を舞台にした猫の怪談。

頼貴の寵愛を受けたお滝は、他の側室方や奥女中の妬みを買い、嫌がらせを受け、虐め苛まれた挙句、命を絶った。それ以降、お滝を虐めた女たちが不審な死を遂げる事件が相次いだ。やがて懐妊した側室のお豊の方が腹を食い千切られて胎児や女と一緒に惨殺された。これは、お滝の血を舐めた猫が化け猫となり、その仕業であった。警藩士の山村典膳が化け猫の眉間に一刀浴びせると、化け猫は悲鳴を上げてどこかへと逃げ去っていった。年老いた母が猫と同じ箇所に傷を作っていたため、母の正体を察した典膳は、化け猫を再度、退治した。

参考文献リスト
日本伝承大鑑

歌川 国貞(三代 豊国)

「東海道五十三次之内 白須賀 猫塚」 
「東海道五十三次 白須賀 逸当」
「東海道五十三次 二川 猫石」
「東駅いろは日記」
「水木辰世実ハ猫石怪」
「花野嵯峨猫魔稿」

梅堂 国政(三代 国貞) 

「五十三次扇宿附」

周延

「東錦昼夜競 佐賀の怪猫」

参考文献リスト
日本伝承大鑑
Wikipedia
【妖怪図鑑】新版TYZ